気功師、言祝道彦のブログ

気功を生活にいかしてよりよく生きるための方法論をご紹介します。

河童伝説と日本武術の裏事情

私が稽古している武術はやたらと突き技が多い。

 

また流派的には新当流的な動きに近いように感じる。

 

ネットで調べてみると新当流の開祖、飯篠家直の師である鹿伏更形部(かぶときょうぶ)は天真正という河童に「刺撃ノ法」を学んだと言う。

 

自分の体験も鑑みて、この「刺撃ノ法」というのが気になった。

 

剣術なら剣術を習ったと普通言うと思う。槍であっても槍を習ったと同様に言わないだろうか。

 

わざわざ「刺す技術」を習ったと言うのは、それが特徴的な剣技だったからと考えるのが自然ではないだろうか。

 

 

 

突き技主体の剣技といえば中国の剣や西洋のフェンシングのようなものを思い浮かべる。

 

上古の剣と言われる古代の日本剣術の技法は、そもそもが直刀を利用した技法だと思われる。

 

突き技が主体であっても何ら不思議ではない。

 

 

 

河童の天真正とは何者だろうか。

 

一般的には香取鹿島の神だと言われていたり、或いは天狗だと言われている。

 

 

 

私は河童というのは移民の外国人ではないかと今の所思う。

 

河童の伝承は馬がセットで語られる事が多い。また現地民と衝突したり、逆に仲よくしたり、そういう交流する話が多い。

 

 

 

河童伝説のある場所は外国からの移民が住み着いたとされる場所も多い。

 

例えば等々力や栗原という地名は日本各地にあり、栗原は元々は呉原と書いたそうだ。

 

つまり呉の国の移民の土地と言う事だろう。

 

どちらも移民が馬を飼育していたり調教していた場所だと言う。

 

河童と馬がセットで語られる事実に奇妙に一致する。

 

熊本県八代には河童が中国から大勢でやってきたという伝承も残っている。

 

そして推古天皇は「太刀ならば句礼の真鋤」(刀なら呉の刀剣が良い)と詠っている。

 

私記にも「呉真鋤、良剣之名也」とある。

 

古代は太刀の事を真鋤(まささび)と言った。

 

呉の剣は呉鈎と言って呉の王が作らせた反りのある非常に切れ味の良い刀で有名だったそうだ。

 

ただそうなると技術的には呉人の剣技は最初から湾刀を扱う技術になるはずだから、天真正は呉の河童では無いのかもしれない。

 


 

なんにせよ昔々に日本に呉の国の優れた剣士や鍛冶屋がやってきて、日本刀に大きな影響を及ぼした可能性は否定できない。

 

そもそも和服の事を呉服というのだから。

 

 

 

またこの剣法の流れのライバルというか天敵の剣技に鬼一法眼、源義経を源流とする京八流の流れがある。

 

吉岡流やそれを破った宮本武蔵の系統は京八流だとされている。

 

昔阿波物語によると式部という上方の剣法の名人が「新当流は役に立たない」と発言したのをきっかけに抗争が起きたりしている。

 

また宮本武蔵は最初に切った有馬兵衛や夢想権之助などの新当流系の武芸者と立ち合っている。

 

面白い事に昔はこれほど二大巨頭として認知され切磋琢磨していた京八流は今は実体がよく分からなくなっている。

 

ただ、今もこの義経の剣法を秘かに伝えている人がいるとかいないとかいう話はあるらしい。

 

 

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