新元号の都市伝説
新元号が令和と発表され、
今回は陛下の生前退位という事情もあり喪に服すわけではないので、改元のムード的には一つの区切りとして大衆には肯定的に捉えられている気がします。
民衆の集団心理というのは世の中の雰囲気に顕著に影響を与えますからね。
例えば正月には何となく気楽な良い空気感を感じるものです。
それは多くの人の無意識のイメージが念力となって世相に影響を及ぼしている証拠です。
元号が令和になって、新鮮な前向きな空気感が漂っているのを感じます。
それはとってもいい事だなと思います。
人々の集団心理というのはそれだけ重要なものなのです。
だから例えば、もしもこの先監視社会化が進行して抑圧された集団心理で溢れる社会になれば、世の中の空気感もそれにみあったものになるでしょう。
さて、
今回初めて中国の古典では無く万葉集から引用した元号が採用されました。
万葉集ってのは和歌ですよね。
五七調の美しい調べで歌われる日本独自の文化です。
和歌ってのはなぜ五七調だと思います?
実は詳しい事はよくわかっていないのです。
さてここからが都市伝説。
和歌というのは古史古伝のホツマツタヱによれば暦の流れと息の流れを対応させたものです。
例えばこういう和歌があります。
たねはたね、うむすきさかめ、まめすめらのそろはもはめそ、むしもみなしむ
これは畑を虫から守り土地に新しい生命を与え豊作をもたらす魔法の和歌として紹介されています。
和歌というのは元々呪文だったのです。
この句は五、七のリズムから急に五七に一字足して、続けて読んでいますよね?
その理由は、邪悪なものというのは暦の隙間、息の隙間を狙って悪さをするので、それを防ぐために途中をつなげて埋めて句を詠んでいるんだと説明しています。
前述したように息と暦を対応させた呪術的なスキルなわけです。
昔の人にとって政治や国体護持の要は農業だったわけです。
農業するのに一番大事なのは暦です。
当然祭祀においても何においても農業と暦というのがまつりごとにおいて最重要だったのです。
そして暦というのは易です。
日本には古代に失われた易や卜を受け継ぐ一族が移民として訪れています。
おそらく殷や周王朝の流れをくむ一族の文化が古代日本に多大な影響を与えたと推測できるのです。
周と言えばあの聖人である孔子ですら尊敬し手本にした国です。
そして大和言葉というのも蘇州語と非常に共通点があると言われています。
例えば稲というのは意味も発音も全く一緒なんだそうです。
つまり中国の古典から脱して日本独自の文章から引用したとする令和という元号ですが、
実際には逆に日本のシークレットな部分を掘り返すような事になってしまっている可能性があるのです。
しかしそれは別に隠すような事でしょうか。
今の中国ではとうの昔に失われた伝承を連綿と受け継いでいる事に誇りこそあれ、隠すような事では無いと思います。
もしそうだとすればの話ですけどね。
長くなるので割愛しますが九州年号といわれるその元号は江戸時代くらいまでは普通に歴史の一つとして認知されていたようなのです。
つまり年号というのは辿ってみると日本のシークレットに繋がるカギになるんですね。
先にご紹介した魔法の和歌ですが、これは凄い力があります。
今の私たちが唱えても非常に効果があるものです。畑の豊作祈願以外にも日常の全てに有効です。
気功では丹田の気を広げて空(くう)の境地を表現する方法があるんですが、この和歌を唱えるとそれと似た身体感覚が訪れるんです。
正式には三百六十回唱えますが、それは難しいでしょうから三十六回を10日に分けて唱えるとか、数を気にせずに好きなだけ言ってもいいでしょう。
おすすめです。
何にせよ、元号が新しくなり日本がこの先弥栄でありますように祈ります。