「秘伝」で試される自分自身
秘伝というのは怖いものですよ。
だって何を秘伝としているかで、その人の価値が簡単にわかってしまうからです。
何を秘伝にしているかで、その人のほとんどすべてがわかってしまうんです。
役に立つもの
役に立たないもの
時代遅れなもの
時代に会ってないもの
社会にあっていないもの
価値があるのに無いと思ってるもの
価値があると思ってる価値の無いもの
秘伝というキーワードには様々なファクターがあるのです。
大事な事は
求めて探求している人でないと秘伝の価値はわからない
という事。
だから「秘伝だよ」とか「秘密だよ」とか前置きが無いと、多くの人は秘伝を聞いてもそれが秘伝だと思わない。
自我が強いと人の話を素直に聞けない。世の中そういう人が大半です。
師匠が大事な事をいっていても、素直に聞く耳が無ければ右から左に秘伝は抜けていくでしょう。
自分で判断する能力を磨き、自分が求めている境地に役立つ本当に価値のあるものを見分ける主体的感覚が無いと、
「あれは凄いよ」とか「あの人は良いよ」とか「秘伝だよ」とか、付加価値で物事を判断してしまうのです。
最近の世の中はどんどんクローズド化してますよね。
守秘義務契約だとか、
コミュニティーサロンだとか、
ビジネスや社会のコミュニティがどんどんそういう方向に向かってます。
選民意識や特別感だけが肥大していく環境の中で、それに見合った実力をその中で身につけられるかどうか、
私にはかなり疑問なところです。
自分のむなしい人生をカバーする為に秘密を持つ。
逆にこんな虚しい事があるでしょうか、、、、、と個人的には思うんですが。
また、役に立つ秘伝を持っている事も一概にいい事とは言えません。
役に立つと言う事は、現実に使えるという事です。
と言う事は簡単にそれを他人に伝える事は出来ません。
そうするとどうなると思います?
精神性が下がるんです。
役に立つものを自分だけのものにし、かつ「役に立つものがずっと役に立つものである為に」現状の社会の全てを肯定してしまうんです。
仕組みが改善されたら、今自分の持っている秘伝が古くなるからです。
現状の仕組みのなかで、今のルールの中でいかに上手くやるか、
そればかり考える人になるんです。
現状をより良いものにしようという感性が無くなってしまうんです。
結果として自浄作用が無くなり、最終的には自滅してしまうんです。
例えば法律を知る事と、法が実際にどう機能しているか知る事は全く別です。
法が実際にどう機能しているか知っている人は、自分が生き残る事、自分が利益を得る事しか考えてない人が殆どです。
そういう人達は現実社会に使える秘伝を持っているわけです。
でも精神性は低くなるという弊害もあるわけです。
シビアな事態に効果があるのが秘伝ですが、シビアな事態に染まってしまえば人間性が死ぬのです。
世の中、武術の世界でも秘伝を有した達人は歴史上沢山いたでしょう。
しかし精神性が高いまま達人になった人はきっと少なかったと思うんです。
シビアな環境を生き抜いてきた達人ほど、きっと癖があったり怒りっぽかったり狂気をはらんだりしていたと思うんです。
でも中にはそこから抜け出した達人もいたでしょう。
役に立つ秘伝を有し、かつ精神性が下がらないで生きれた人達もきっといたと思います。
だからまとめると秘伝と言うのは、
何を秘伝にしているかで自分の価値がバレる
秘伝をもっていると人格が下がる
という二つのリスクがあると言う事です。
だから秘伝と言うのは怖いものだなあと私は思うのです。