気功師、言祝道彦のブログ

気功を生活にいかしてよりよく生きるための方法論をご紹介します。

【ヲタク考】沢山の本を読むと馬鹿になる

〇知識と志の話

 

世の中では読書信仰みたいなものがいまだに根強く残っているようです。

 

読書する事で沢山の知識を得る事が出来、

判断材料が増える事でより精密な思考が出来るようになる。

 

というのが読書の効能として広く提唱されています。

 

しかし本当にそうでしょうか。

 

かのアインシュタインはこういっています。

 

ある年齢を過ぎたら読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。
本をたくさん読みすぎて自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る。

 

本ばかり読んでいる人や、資料や情報ばかり集めている人は自分自身の脳で試行錯誤するという作業をしていません。

 

何故かというと志(こころざし)が無いからです。

 

志が無い人が本ばかり読むと、自分の性格の欠点をどんどん強めてプライドを守ろうとしていく傾向にあるのです。

 

両手の指全部に大きな宝石を付けている成金の人を、品が良いとはだれも思わないでしょう。

 

実は知識を身に着ける事もそれと同じです。

 

ただ知識は目に見えないし、そして世間では学問として捉えられているので、素晴らしい事のように誤解されているだけなのです。

 

大事なのは精神性、志を常にブラッシュアップする努力をする事であって、知識というのはそれに見合ったものをピックアップすればいいのです。

 

もっと言うと知識のピックアップと関連付けの作業は無意識がその大部分を担っているのです。

 

ですから一番重要な事は価値観を常に更新し、志や精神性をブラッシュアップする事なのです。

 

無意識がその人の精神性に見合った情報を勝手にピックアップして、関連づけているわけですからね。

 

 

それをしっかり理解せず、闇雲に品性下劣に知識を集める事ばかりをしていても、自分の負の部分を強化する事にしかならいのです。

 

そして面白い事に、そういう人は些細な細々した事にばかり注目して、知識がある分野ではそれを責めたり反論したりする事ばかりして、本質的な論点に全く目を向ける事が出来ない思考形態が育っていくのです。

 

何故かというと、本質的な論点を掴むという意識は志が無いと育たないからです。

 

だから結局は元々持ってる自分の性格的に許せないものに噛みついているだけで、その為だけに知識を集めているだけなのです。

 

 

「いや、自分はいつも高い志を設定しているから大丈夫だ。」という人もいるかもしれません。

 

しかしだとしたら、もうたくさん本を読もうとうする努力は必要無いのです。

 

無意識のはからいで、目標に見合った情報に勝手に出会うようになるからです。

 

志のある人は、

 

知識を披露して自分の好みに合った社会にするために人々を啓蒙するようなレベルから脱している事になるので、

 

反目する人や勢力に情報量でマウンティングする必要がないため、多読する必然性が無くなるのです。

 

志のある人は、具体的に役に立つものを自ら生み出す作業に集中しているからです。

 

 

それに目標や志というのは自然に生まれるものです。

 

価値観が変わって性格が変わる事で自然に目標も変わっていくのです。

 

それを逆からアプローチしていきなり目標を精神性の高い利他的なものに変えても、自分を変えるのはかなり難しいでしょう。

 

 

 

逆に言えば目標を変える為に本を読むならばそれは正しい読書です。

 

アインシュタインが言ったのもそういう事で、「ある時期」までにたくさん本を読み志を作ったら、

 

あとは巣立って旅立つ事に力を使うべきなのです。

 

情報を仕入れて何かを得よう、役立てようとするのではなく、情報を得る事で自分の価値観を変えようとしっかり意識して本を読むなら、それは価値のある事になります。

 

自分の価値観を持ったままいくら情報を仕入れても、ただ単に自分のエゴを強化するだけになってしまうのです。

 

 

〇ヲタクと知識の関係性の話

例えばヲタクというのがそういう存在です。

 

私が子供の頃に、「トルネコの大冒険」というゲームが発売されました。

 

その時五歳年上のヲタクだった兄に他のキャラクターの名前を挙げて「そのうち○○の大冒険とかいうのもでそうだね」と言ったら

 

「お前そんな事よく知りもしないのに知った風に言うと痛い目見るぞ。」と言うような事を兄に言われたのです。

 

私はこの時に初めてヲタクの思考形態を知りました。

 

 

自分の分野で思想的に性格的に許せないものには知識でマウントを取りに行く為、あるいは取られない為に情報を常に仕入れ続ける地獄に陥ってしまうのです。

 

 

 

しかしホンのわずかのヲタク達がそのフェーズから脱出します。

 

志をもって自分の持っているものを社会の為に還元するにはどうすれば良いか、という方向にいくのです。

 

たとえば有名な魚ヲタクのさかなクンはテレビで「自分の満足だけで終わらず、人の為に何かできるヲタクでいたい。」というニュアンスの事をおっしゃっていました。

 

また、歴史学者磯田道史さんもテレビで、「自分だけ楽しめれば良いと思っていたけど、ある出来事から開かれたヲタクになった。」と言っていました。

 

「自分は先人に信頼されている、判断を託されているんだと感じて、その時から変わった。」とおっしゃっていました。

 

 

自分の心の葛藤と戦いつつも、苦しさもあると思うのにヲタクとしてこういう方向に進んだ人を見ると、大したもんだなと感心してしまいます。

 

ですからたくさん本を読む事の大事さを説くよりももっと大事な事がある、と言う事を多読を勧めている人達には少しで良いので言及してほしいなと思うのです。

 

〇知識を多く持つ者の社会との本当の関わり方は「淡き事水のごとし」であるべきだ、の話

 

近思録という書物には、

 

「本を沢山読むだけなら本屋の親父と変わらない。」

 

「必ずしも多く読む必要は無く、要点を掴む事が大事である。」

 

と言うような事が書いてあります。

 

 

私は昔の子供向けのドラマや本などに出てきた、主人公に示唆を与える不思議な物知り風の古本屋のお爺さんみたいなイメージが好きです。

 

こういうキャラクターなら「本屋の親父と変わらない。」と言われても「別にいいじゃん。」と思うんです。

 

こういうキャラクターは控え目で、半分社会から引退していて、決してベタベタした関係性をもたず、ほんの少し示唆を与えるだけの存在です。

 

しかし近年のSNS上にいる各種分野の知識人気取りや前述のヲタクのような人たちは、とにかくベタベタして毎日毎日他者と関わって因縁をお互いにつけあって生きています。

 

こういう人達は自分達が近思録の「本屋の親父」だという認識を持つべきだと思います。

 

 

 

君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」

 

という言葉が論語にあります。

 

醴というのは甘いお酒の事です。

 

小人というのは嫌いであろうと好きであろうと関係を持てればそれで満足するのです。

 

好きな子をイジメる小学生男子もそういう状態です。

 

嫌われたって関係が持てればそれでいいと感じてしまうのです。

 

知識を持っていれば敵対だろうと協調だろうと、それで関係性を持ち合おうとしたくなってしまうものです。

 

SNSでベタベタする無自覚な「本屋の親父」は、見ていて気持ちのいいものではありません。

 

〇知識をいれるだけだと心の病気になるかもしれないという話

前述したように仕入れた知識の関連付けというのは無意識が自分の性格にあわせて自動的に行っています。

 

ですからコントロールが難しいという側面がある事を認識すべきです。

 

つまり人は自分の性格に合わせて意図せず勝手に思考する、と言う事です。

 

これは実はすごく危険な事で、この事によるリスクを解説している人にお目にかかった事がありません。

 

情報を仕入れれば仕入れるだけ関連付けの作業も多くなるし、何かを勘ぐって生きる事になります。

 

これは健康に非常に良くないんです。

 

心が休む事が出来ないからです。

 

だから、多くの人は趣味にはしって、アニメを見て泣いたり、音楽を聴いたり、異性との関係にふけったり、旅行に行ったりして自分が普段持ってる無意識の印象を別の物に移して情報を書き換えようとします。

 

そうする事で気分転換してバランスを取ろうとするんです。

 

でもそれだけでは中々回復する事は出来ません。

 

 

情報を捨てると言う事をしていないからです。

 

情報を情報で書き換えても、その書き換えるという行為そのもので疲弊してしまうし、無意識の関連付けは中々おさまりません。

 

本当の意味で休むと言う事を出来なけばやがて心身のバランスを崩してしまうかもしれないのです。

 

 

その為には前述したように君子にならねばなりません。

 

物理的な因縁、情報的な因縁、それを一切浄化して浄化された空間で心身を休める事が必要になるのです。

 

 

昔の健全な宗教やアミニズム的な信仰、そして気功にもそういう方法論が実は沢山あったのです。

 

 

 

 

ですから私が言いたいのは、本を沢山読むこの大事さを説くならば、その弊害と対処法にも言及しないと嘘だ、という事なのです。

 

 

 

気功師が教える体質改善の秘宝

気功師が教える体質改善の秘宝